熊野三山



 本宮は熊野川と音無川が合流する地点の中洲にあった。そこを大斉原(おおゆみのはら)というが、明治22年の洪水で社殿が流出したため、現在地に移築された。大斉原の入口には現在でも日本一の大鳥居が建っており、往時を偲ばせる。
 那智山一帯は滝を御神体とする自然信仰の聖地で、そこには大小60余の滝がある。そのうちの48滝(那智四十八滝)が滝篭修行の行場として使われていた。元々は、この48滝を総称して「那智の滝」と呼んでいたのだが、現在では、このうちの一の滝(那智大滝:落差133m)を「那智の滝」と呼んでいる。 
 速玉を新宮と言うが、これは本宮や那智の新宮ではなく、元々は熊野川の河口神倉山の山頂にあった。現在でも神倉神社としてその名残を留めているが、神倉神社が速玉の元宮、それが現在地に下りてきたため新宮と呼ばれるようになった。ここでは速玉の火祭りを描いており、天上から降りてきた神の御霊が熊野灘の彼方(浄土)に帰っていく様を描いている。


花の窟


 花の窟(はなのいわと)は三重県熊野市有馬にあり、日本書紀にはイザナミ命の葬られた場所と記されている。現在は切り立った大岸壁の前に鳥居が建っているに過ぎないが、熊野信仰の原点ともいえる場所である。春と秋に例大祭が行われるが、その時には長さ170mの〆縄が張られ、そこに季節の花や果物・扇などが吊り下げられる。この社では、表面にイザナギ・イザナミ命の国造り神話を描くことで、当社の主祭神イザナミ命の神格を記している。



樟大権現



 社頭の「大樟」は当社創建の折、紀州熊野より運ばれた「後白河法皇お手植えの樟」と伝えられており樹齢900年と推定されている。「影向(ようごう)の大樟」として、当社の自然神信仰の象徴となっており、また樟龍弁財天として人々の信仰を集めている。影向とは神仏が現れるという意味。延びた巨枝が、龍が空を飛んでいるように見えることから、龍に乗った弁財天、樟龍弁財天と名付けられたのであろう。
樹齢900年の老木でありながら現在でも成長し続けている姿を見て、「健康長寿」 「病魔退散」、特に「お腹の神様」として御利益を求める人が後を立たない。


京の熊野古道全景




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